ATP/ADPトランスロケースと生物の進化

研究

ATP/ADPトランスロケースとは、ATPとADPを交換輸送するトランスポーターである。

まずATPとは、アデノシン三リン酸(adenosine triphosphate)のことであり、アデノシンのリボースに3分子のリン酸がついた化合物である。 生物はこの物質を介してエネルギーの貯蔵と放出を行っており、「生体のエネルギー通貨」とも呼ばれる物質である。

ATP/ADPトランスロケースは、このATPと、ATPからひとつリン酸がとれたADP(adenosine diphosphate)を膜間で濃度勾配にしたがい交換するトランスポーターである。 すなわちこのトランスポーターをもっている生物は自身の細胞外からATPを輸入することができ、生物が普通ATPを合成するために行う基質レベルのリン酸化や酸化的リン酸化を介さずにATP(エネルギー)を入手することができる。 この特徴から、ATP/ADPトランスロケースを持つ生物は「エネルギー寄生体」と呼ばれることもある。

現在知られているATP/ADPトランスロケースをもつ生物は次のとおりである。

  • Rickettsiales (ヒトを含む広汎な生物に感染する寄生体)
  • Chlamydia (ヒトを含む広汎な生物に感染する寄生体)
  • Cnadidatus Dependentiae (アメーバなどに感染する細菌)
  • Microsporidia(微胞子虫、菌類に近縁な真核生物寄生体)
  • Holospora (アメーバなどに感染する細菌)
  • Lowsonia (豚増殖性腸炎の病原体)
  • Candidatus Amoebophilus (アメーバから見つかった細胞内共生細菌)
  • Cardinium (節足動物などに感染する細菌)
  • Liberibacter (カンキツグリーニング病の病原体)
  • Candidatus Azoamicus (湖の深層部に生息する繊毛虫の細胞内共生体)
  • Candidautus Improbicoccus, Paraimprobicoccus (シロアリ腸内原生生物に寄生する細菌)

これら細菌・真核生物のゲノムサイズは近縁の自由生活型(環境中で単独で生育する生物)に比べ大幅に縮小しており、多くの代謝機能を欠損して、自身で合成できない物質を宿主に頼っているものが多い。 またこれらの系統は多様であり、このトランスポーターをコードする遺伝子が、水平伝播により生物間を移動していることを意味する。 そして興味深いことに、このトランスポーターを手に入れた生物の中には、宿主からATPを輸入するためではなく、宿主へトランスポーターを輸出する(提供する)方向にこれを使う(と推測されている)生物が存在する。 それが上記 Candidatus Azoamicusである。

この細菌は硝酸塩が豊富な湖の深層部に生息する繊毛虫の細胞内共生体である(Graf et al. 2021 Nature)。そのゲノムは300 kbp以下と大幅に縮小しており(大腸菌のゲノムサイズは約4 Mbp)、様々な機能を失っている一方、硝酸塩呼吸を行う遺伝子は保持していた。また観察した宿主細胞すべてに共生が確認された。 硝酸塩呼吸は嫌気条件下で硝酸塩を最終電子受容体として用いる反応であり、脱窒とも呼ばれる。この反応は電子伝達系を用い、プロトンの膜外への輸送を伴う。これにより生まれたプロトン濃度勾配を用いてATP合成酵素によるATP合成が行われる。 この細胞内共生体は、宿主種の細胞すべてに共生していることから宿主に貢献するmutualistだと推測され、多くの代謝機能を失っている一方で硝酸塩呼吸によるATP合成能は保持していた。そしてATPとADPを濃度勾配にしたがい交換輸送できるトランスポーター・ATP/ADPトランスロケースを保持していた。このことは、Candidatus Azoamicusが硝酸塩呼吸によりATPを合成し、ATP/ADPトランスロケースを介して宿主へのATPを供給する、エネルギー供給体であることを示唆する。

すなわち、ATP/ADPトランスロケースと呼吸によるATP合成能の存在により、この生物はエネルギー供給体となっている可能性がある。 そしてこれに類似した機能を持つオルガネラが存在する。それがミトコンドリアである。

ミトコンドリアの獲得・進化過程には様々な説があるが、以前からミトコンドリアの前身がエネルギー寄生体だったのではないかという推測があった。近年提唱された仮説「Entangle-Engulf-Endogenize (E3) model」でもこれが推測されている。 このモデルの概要は次のようなものである。

  1. 真核生物の祖先となるアーキアが、生体に有毒な酸素を呼吸により消費できるミトコンドリアの祖先と共生を始めた。
  2. そののちミトコンドリアの祖先は宿主からATPを輸入するトランスポーターAAC(ATP/ADPトランスロケースに類似した機能だが別の遺伝子)を生み出した。これにより宿主から一方的にATPを獲得できるようになる。
  3. これに対し宿主側はATP合成を抑え、ATP濃度差を反転させた。これによりAACの輸送方向が逆転し、ミトコンドリア祖先は呼吸により生じたATPを宿主に提供するようになった。
  4. そして現在のミトコンドリアへと進化した。

このモデルは Candidatus Azoamicusの論文(Graf et al. 2021 Nature)で推測されている Candidatus Azoamicusの進化過程と一部相似であり、エネルギー供給体の進化にはエネルギー寄生という性質が重要であることが示唆される。

このようにATPの輸送体は生物進化に重要な意味を持っており、今後ますます研究が進んでいくと考えられる。

参考文献